その日、僕は会社を首になった。
つまり、リストラ。 営業成績が悪い人間は容赦なく面接してポイ。 社内の友人もいなかった僕は、さっさと荷物をダンボール箱にまとめた。 そして手切れ金をもらって早々に会社を出て、荷物を宅急便に預ける。 2年半か…。 何だったんだろうな、この時間は…。 まっすぐ一人暮らしの賃貸マンションに帰る気もなかった。 こういうとき、お酒が飲めたらいいのにな…。 下戸な僕には無理な話だった。 大学時代の友人はこの土地にはいないし…。 まあ、一人でブラブラするか…。 僕は12月の冷たい風に吹かれながら、町を彷徨った。
そうはいっても、12月22日に外をうろつきまわるのは寒すぎる。 酒場が鬼門ならば、定番の映画館くらいしかないものな。 僕はタイトルを一生懸命に選んだ。 今の気分じゃ、笑えるのは敬遠したいし…。 恋愛物も欲求不満が募るだけだから…。 ドンパチ煩いのも鬱陶しいからな…。 子供がうろうろするのも避けたいしなぁ…。 できるだけ人の入ってない…。 あ、これならいいんじゃないかな?
入場者は僕一人。 正解だった。 でもこの時期にこんな入りじゃ、打ち切りだな。この映画は。 ドイツの1950年代の白黒映画で、しかも新作じゃなくてリバイバル。 古城に住んでいる美少女に恋した少年の物語だけど、文芸映画らしくて難しいや。 言葉もドイツ語だからなじみがないし、暗い感じ…。 う〜ん、でも結構面白いな、これ。少女が二重人格なんだ。 どっちに恋してるかわからなくなってくるんだ…。
湖畔に佇む少女の後姿をカメラが捉えたその時…。 場内に光が射した。 扉が開いたんだ。 こんな途中なのに、誰か入ってきたんだな…。 再び暗くなった場内にコツコツという足音が響く。 ハイヒールの音。女の人か。 その足音が止まった。 僕は画面に集中していたが、誰かの視線を妙に感じてチラリと横を見た。 通路に派手な色のものが立っている。 はは、一瞬ドキッとしたけど、人間だよね。 でも、どうして、あんなところに立ってるんだろう? 僕は横目でもう一度様子を窺う。 女性。若い女性が、腰に手をやって…、仁王立ちってやつだね、あれは。 赤い足元まであるオーバーコートに、金髪、そしてサングラス。 外国映画か、ちょっと危ない世界でしか見かけないような、派手ないでたちだ。 どちらにせよ、僕には関係のない世界の人なのは間違いない。 彼女いない歴25年−つまり、生まれてこの方−の僕が言うんだから間違いない。 きっと、待ち合わせかなんかで、相手を探してるんだ。 暗いからわかりにくいんだな。そう思って、僕は見やすいように顔を少し彼女の方に向けた。 ほら、あなたの探しているのは僕じゃないですよ。 しばらくして、彼女は大きな溜息をついた。 ふふ…、やっとわかったんだね。さてと、映画に集中しようか…。
えっ! 赤い塊は、座席の間を僕のほうに向かってきた。 そして、僕の隣にどすんと座ったんだ。 「U kunt het Duits spreken?」 へ?これって…、英語じゃないよね。あ、画面で美少女が喋ってるのと似てる…。 じゃ、ドイツ語なの?そんなの、僕にわかるわけないじゃないか。 彼女は苛立ちを隠さずに、もう一度ゆっくりと話し掛けた。 「U kunt het Duits spreken?」 英語で答えて、いいのかな? 「I’m sorry. I can’t speak German.」 「は!こんな映画見てるから、ひょっとしてって思ったのに…」 日本語だよね。しかもすらすらと…。 「あ、あの…」 「アンタ、名前は?」 彼女は真っ直ぐに僕を見ている。威圧感たっぷりに。 「い、碇…シンジ、だけど…」 「OK。アンタでいいわ。シンジ、行くわよ」 「へ?」 「もう!来るの!」 彼女は僕の手首を掴むと、強引に通路の方へ向かった。 僕は手すりにわき腹をぶつけるやら、け躓くやらで、ドタバタとしながら通路へ引っ張り出された。 な、なんなんだ。この展開は。 「あの…映画を…」 「うっさいわね。アンタは黙って私についてくるの」 通路で向かい合った彼女は、僕より10cmくらい小さかった。 さっきはかなり大きく見えたんだけど、案外普通のサイズだったんだ。 「何よ。じろじろ見て」 「あ、ごめん。突然だから、びっくりして」 「はん!いいから、私についてきなさい」 「え、どこに?」 「つべこべ言うな。さっさと歩く」 「え、ええっ!」 「何よ。いちいち煩いわね、アンタ」 「だ、だって…」 僕の腕に彼女は左手を絡めて…。これって、世間で言う、腕を組んでってやつなんじゃ…。 「アンタ、こうやって歩いたことないの?」 「な、ないよ…」 「へえ…。そうなんだ。ふふふ、面白いわ」 「面白いって、何?」 「さ、歩きなさいよ。シンジ」 「し、シンジって…。えっと、君は?」 「どうでもいいでしょ。早く歩きなさいよ」 僕は彼女に押されるように扉へ歩き出した。 おいおい、これって一体なんなんだよ。 まさか、映画でよくあるような、巻き込まれ型で…ギャングかなんかに利用されて…そして、消される。 「あ、そうそう」 「ひえっ!」 「は?何、今の?」 「な、何でもないです」 彼女は扉に手をかけた。 「アンタは私の恋人だからね。忘れないように」 「へ?」
扉が開いた。 ロビーの光がいっせいに、僕の目に押し寄せてくる。 僕は目を細めて、隣の彼女を見た。 光の中で見た、彼女はそれはもう、美しかった。 流れるような金髪と、鼻筋が通って、きりっとした顎のライン。 サングラスの隙間からのぞく眼も綺麗に見えた。瞳は青いんだ。 日本語うまいけど、やっぱり外国の人なんだ。 「何、ぼけっとしてんのよ」 「いや…綺麗な人だなって…」 僕は生まれて始めて、こんな台詞を言ってしまった。 あまりの出来事に、恥ずかしいとか思うのを忘れてしまったんだ。 「はん!当然じゃない。光栄に思いなさいよ。こんな美人を彼女にできるんだから」 「え?彼女…」 そういや、さっきもそんなことを…。 「さ、行くわよ。シンジ」 彼女は歩き出した。僕も引きずられるように、彼女の隣を無様に進む。
これが、僕と彼女の出会いだった。 12月22日。午後4時25分。 僕は映画館のロビーで見た時計の文字盤を一生忘れることはないだろう。
ところで、君、名前教えてよ。
赤い外套を着た女 − 序 − おわり
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